氷柱制作所

旅行日記(2023 北海道)

2023年9月

飛行機で北海道へ行き、登別温泉とウポポイを訪問し、船で帰ってきました。

▲今回の旅程

1日目

新千歳空港へ

朝の常磐線で石岡へ向かいます。石岡に着いたら空港行きのバスに乗り換えます。

バスの経路の一部はかつての鹿島鉄道線を転用したバス専用道路です。鉄道時代に引き続き単線で、反対方向のバスと何回か待ち合わせをしながら進みました。

というわけで茨城空港に到着です。

先に出発する神戸行きを展望デッキから見送ります。神戸行きには修学旅行生が乗るらしく、展望デッキに学校の旗がかかっていました。

歩いて飛行機へ向かいます。177人乗りのB737がほとんど満席です。WEBで見ると他の日も埋まっているようです。コロナ禍に伴う自粛ムードが明け、茨城空港の需要もすっかり定着しているようです。

座席は21A、左の窓側席です。座席同士の間隔は普通の乗用車くらいの広さはあり、思ったよりも快適です。

窓の下にはまだ飛行機に乗ろうと並んでいる人たちが見えます。続々と乗り込んできます。

8時35分、定刻の出発です。滑走路の端でUターンして離陸します。

37,000ftまで上昇していきます。

朝食をとります。空港で買った月寒あんぱんと、機内でもらったキットカットをいただきます。キットカットはスカイマークのオリジナルデザインです。

東北の内陸を縦断していきます。雲の合間から猪苗代湖が見えました。

食べ終わる頃には高度が下がりはじめ、津軽海峡を越えて函館が見えてきます。

茨城空港から1時間25分で新千歳空港に到着です。あっという間です。

荷物を預けていないのですぐに自由の身です。しばらく新千歳空港を散策します。生鮮食品も含めてたくさんのお土産が売られています。映画館や浴場まであります。

登別温泉へ

地下にあるJRの駅へおりて、登別駅までの切符と自由席特急券を買います。

快速エアポートで南千歳駅へ向かいます。座席は転換式なのですが、すでに後ろ向きのまま座っている人が多かったので、筆者も動かすのをあきらめて後ろ向きに座ります。

1区間乗って南千歳駅に到着し、特急北斗11号に乗り換えます。

自由席はほとんど満席です。デッキ付近に立つ人や、グループ客なのに離れた席に座るしかない人たちもいます。車内は外国人らしき人たちで賑わっています。

日本一の長い直線を120km/hで快走し、43分で登別駅に到着しました。

バスで登別温泉へ向かいます。こちらも立ち客が何人もいる混みようです。

低地でも夏緑林が中心なのは北海道ならではでしょうか。

バスで約15分、登別温泉にやってきました。これから温泉街を歩いて地獄谷を見に行きます。

温泉の煙が吹き出しています。風下では特に濃厚に感じられます。

20分ほど歩いて地獄谷に到着です。大きな火口です。周辺の大小さまざまな穴から煙が出ていて、登別温泉の源になっています。

お湯が流れるところは、温泉の成分がくっついて黄色くなります。木の枝や石ころも黄色でした。

ウポポイへ

あと1時間ほど余裕があれば日帰りで入浴したいところでしたが、今回はここまでで登別温泉を後にします。

バスの運賃にちょうどいい小銭がなかったので、代わりに案内所で切符(金券)を買います。

13時51分のバスで白老駅へ向かいます。こちらのバスは空いており、途中20分ほど乗客が筆者1人という貸し切り状態になりました。

信号の少ない国道をノンストップで走ります。海がよく見えます。

40分ほどバスに乗って白老駅までやってきました。

郵便ポスト、自販機、駅名標など、さまざまなところにアイヌの文様が描かれています。イランカラプテ(irankarapte)。

駅の隣の公園では、北海道で活躍した蒸気機関車D51 333が展示されています。

白老駅からウポポイ(upopoy)まで、600mほど歩きます。道はよく整備されていて、砂利道の左右に花が植えられています。

ウポポイに到着です。

入口ではトゥレッポん(tureppon)が出迎えてくれました。

まずは昼食です。オハウ(ohaw:汁物)とペネイモ(peneimo:崩したジャガイモ)を食べようと思っていましたが、オハウは売り切れとのことでペネイモだけとなりました。ペネイモは団子のような食感で、素朴な甘みがぜんざいによく合います。

国立アイヌ民族博物館です。WEB上でも見学できます。(外部リンク)

アイヌ語が第一言語です。

館内を見終えたら、屋外へ出てウパシクマ(upaskuma)を観ます。チセ(cise)の仕組みなどアイヌ文化についてのお話と、ムックリ(mukkuri)の演奏が披露されました。

チセの中を見学します。炉の上に吊るされた鮭が印象的でした。

イタオマチプ(itaomacip)が復元されています。交易に使われた船で、北海道から樺太、千島列島、そして大陸まで渡っていたそうです。

最後にシアタールームで『アイヌの歴史と文化』を鑑賞します。

17時45分、閉園の時間を告げる放送のなか、ウポポイを後にします。空はもう暗いです。まだ旅行全体の時間の1/3くらいなのですが、ここからは帰り道となります。

苫小牧港へ

白老から普通列車に乗ります。21分で苫小牧に着きます。

2扉オールロングシートの広い車内が印象的でした。乗客の半分は高校生です。座席1人分以上は空けて座る習慣が筆者の知る地方圏と似ていて、懐かしい感じがします。特急とはまた違った雰囲気です。

苫小牧駅から1時間ほど歩いて苫小牧西港フェリーターミナルへ向かいます。

マンホールの蓋から、とまチョップが見送ってくれます。

幹線道路の信号はやはり少なく、たくさんの車がびゅんびゅん飛ばしていきます。

西港フェリーターミナルの看板が見えてくると右折です。沿道は一気に暗くなります。

※(参考)飛行機から見た苫小牧 ※

夜空を見ると、新千歳に降りる飛行機が何機も通過していきます。行きは上から見下ろして、帰りは下から見上げる、きれいな対照になりました。

20時10分、苫小牧西港フェリーターミナルに到着です。青色と赤色の文字がカラフルに光ります。

売店でパンと水を買って夕食をとります。今日はもう深夜発の乗客しかいないためか、ターミナルの中は閑散としています。

22時30分、乗船の時間がやってきました。通路には筆者の他に人影がありません。道を間違えたのではないかと思うほどです。ほとんどの乗客は自家用車やトラックのドライバーで、筆者とは別のルートを利用するようです。

長い通路をいくつも渡ってまいりました。写真の右の壁は船です。太陽が大きく描かれています。

乗り込むとすぐに船室へ案内されました。4名1室のカジュアルルームです。今回は筆者1人で1室貸し切りとなりました。

まずはお風呂に入ってきます。浴場の壁には、海が荒れているときの浴場の大混乱を描いた絵がかけてありました。

1時頃、ベッドで横になります。エンジンからの音と小刻みな縦揺れが、出港が近いのを伝えます。

1時30分、船は向きを変えて苫小牧港を出発します。窓に映る港の灯りを、ベッドから身を乗り出して眺めていました。

2日目

大洗港へ

8時30分、起床します。

共用スペースの液晶では、船の現在地、テレビのチャンネルの案内などが流れています。

三陸の海岸は船から見てわかるくらいの大きな断崖絶壁が続いています。

飲食スペースは上の階にあります。

船の揺れのため、慣れるまでは階段の左側を歩いていたつもりがいつの間にか右側にいる……という具合になります。

食事は冷凍食品の自販機でいただきます。

電子レンジは自販機のメニューに対応したボタンが並んでおり、ボタン1つでそれぞれのメニューに適した加熱が実行されます。5分以上加熱する場合でもあまりムラが出ない優れものです。

朝食はカルボナーラを選択しました。なかなか美味しかったです。

部屋に戻って3時間ほど昼寝をした後、甲板へ出ます。

海上は風が強いです。船そのものが高速(23kt = 42km/h)で進むことによる風も結構なものです。

ゆったりしているうちに日が傾いてきます。海へ向かって並ぶ椅子がエモーショナル。

夕方はビビンパを食べます。やはり美味しいです。船の冷凍食品、以前から評判が良いと聞いていましたが予想以上でした。

階段の端に通っていたベルトのようなものが気になっていたのですが、どうやら昇降機を動かすための設備のようです。

案内所が開く18時までの間、部屋の窓から夕日を眺めます。海に反射する光がまるで道のようです。雲が太陽の前を通過するたびに、海全体の見え方も移り変わっていきます。

やりたいことをたくさんやるのも幸せですが、こうして何もせずに風景と向き合う時間もまた大切にしたいと思います。

太陽が沈み、陸地の灯りが見えてきます。大洗に着く時間が近づいてきます。部屋の片付けと荷物の整理をはじめます。

船は大きく向きを変えて大洗港に入ります。港ではたくさんの灯りが眩しく輝いています。

今回は諸事情により1時間延ばして20時30分に到着しました。これで19時間の航海が無事終了です。

もっと長く乗りたいくらいでしたが、まっすぐ船を降ります。

大洗港でも、苫小牧港のときと同じく1人で通路を歩いていきます。

大洗港からは、待ち合わせていた家族の車で自宅へ帰ります。0泊2日の北海道旅行が終わりました。

※(参考)大洗港から見た到着風景 ※

さんふらわあ しれとこ が大洗港に入ってくるところを家族が撮影していました。